衝撃を受けた『銀河鉄道の夜』と映画『シックス・センス』

宮沢賢治

宮沢賢治という人物の存在を学生の頃から知っていましたが、私が彼の作品の内容を知っていたのは『雨ニモマケズ』くらいでした。

宮沢賢治 『雨ニモマケズ』 Unbeaten by Rain

もちろん『注文の多い料理店』『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』などの作品があることは知っていましたが、若い頃は興味が向くこともなく読んだことがありませんでした。

恥ずかしながら、彼の作品を読んだのはつい最近です。読んだ最初の一作が『銀河鉄道の夜』だったのはラッキーだったと思います。なぜなら、その内容に衝撃を受けたからです!

私が『銀河鉄道の夜』を読んだ時の感想は「まるで映画『シックス・センス』を観たときのような衝撃!」でした。

 

映画『シックス・センス』、公開当時はものすごく話題になり劇場は長蛇の列でした。

映画が始まると最初に「この映画のストーリーには”ある秘密”があります。これから映画をご覧になる皆様は、その秘密をまだご覧になっていないお友だちやご家族に決してお話にならないようお願いします」との前置きがありました。

(ここから先は『銀河鉄道の夜』も『シックス・センス』もネタバレ全開なので、まだ観ていない方はご注意!)

 

あの映画を観たときのような衝撃だったのですよ!

そして、その映画よりもずっとずっと昔に衝撃の物語を紡いでいた宮沢賢治という人物に強い関心を持つに至りました。

映画『シックス・センス』の主人公は、普通の人が見えないものが見えてしまう孤独なコール少年と、その少年を助けようとする小児精神科医クロウの二人(どんでん返しの後はこの構図が変わるのですが)。

一方『銀河鉄道の夜』は、一部の級友からいじめられている孤独な少年ジョバンニと、人気があって級長のカンパネルラの二人が主役。

どちらの物語にも孤独な少年がいますが、どちらの少年も父親不在の家庭であると同時に母親思いの優しい少年です。

そして二つの物語のもう一つの共通点は、孤独な少年に寄り添う準主役がこの世を去ってしまうことです。

相方と永遠の別れがあった後、孤独だった少年はそれまでのような孤独から解放されます。

なのですが…

私は『銀河鉄道の夜』を読み終えた後は、かなり複雑な心境になりました。そのラストは不幸と幸福が折り重なって混在していたからです。

少年ジョバンニの孤独は複合的なものなのですが、目下学校生活の上で一番の問題はいじめっ子ザネリの存在。ところが、その天敵ザネリが溺れたのをカンパネルラが助けちゃうんですね。

助けるだけならいいんですが、助けたカンパネルラが溺れていなくなっちゃうんです。

なもんだから「助けなきゃよかったのに」みたいな感情が自分の中に起きてしまったのですよ。

そうすれば問題児ザネリに苦しめられることはなくなるし、親友カンパネルラを失うこともなかったのですから。

こういう自分の感情にざわざわとしたのです。「ザネリが死んでればよかったのに」という自分の感情に…。

そしておまけにカンパネルラの態度にモヤモヤしていたんです。

カンパネルラは級長なのに、ジョバンニをからかう者や仲間はずれにする者に対して「やめろよ」と言うこともないし、ただ黙って気の毒そうにしているというだけ。

私はこんな級長の煮え切らなさに、ちょっとイライラしておりました。

一切敵を作らないということなんでしょうかね?

そういえば『シックス・センス』の小児精神科医クロウも、少年が見るものをゴースト・バスターズよろしく退治するようなことはしません。

小児精神科医クロウも級長カンパネルラも、人を助けようとして亡くなりました。

この亡くなった側の視点に立つと『銀河鉄道の夜』も『シックス・センス』も、その人が成仏するに至るまでの物語になります。どちらのストーリーでも、亡くなった側は現世への迷いが解けて解放されている感じがあります。

一方、現世に残った側の主人公ですが、ここで『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニに訪れるラストというのは、複雑な気分にさせられるんですよ。

密漁を疑われて囚われの身になっているかもしれないと気になっていた父親が、もうすぐ帰ってくるという朗報を知らされるのですから、もう朗報中の朗報なんですけど…

父親の無罪が決定的になれば、学校でいじめられていた原因も無くなりますし、平静を装って気丈に振る舞っていた母親の心労も解決!

このために病弱になった母親に代わって働いていた少年ジョバンニは、父親が帰って来ればまた学校の友達と遊べる時間が戻ってきそうです。

ここだけを見ると、いいことだらけのラストではありませんか!

しかし、これらの近い未来を主人公が知るのは、カンパネルラが溺死したという訃報と一緒なのです。しかも、それを教えてくれるのがカンパネルラの父親。

もう読んでる私の心はグチャグチャ(笑)

こんな風に心をかき乱し揺さぶる話とは思ってもいませんでした。

『銀河鉄道999』でメーテルが鉄郎に黙っていた事実が明らかになるクライマックスも衝撃でしたが、ちゃんとスッキリ気持ち良いラストにしてくれているんですよね。

 

なのに『銀河鉄道の夜』は予定調和的なメデタシメデタシだけに終わらせない、ある意味、読者を決して甘やかさない終わり方です。

「キミはどう考えますか?」と課題を渡されたような読後感でした。

そして、この『銀河鉄道の夜』は、賢治自身が生存中に何度も何度も推敲を続けていた別のバージョンがあり、そちらもまた衝撃を受けました。

その話はまた後日。

宮沢賢治『星めぐりの歌』 交響楽風 Star Circling Song

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『銀河鉄道の夜』(ブルカニロ博士登場版)とミヒャエル・エンデの『モモ』

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前記事の続きです↓ 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にはいくつかのバージョンがあります。 大別すると、ブルカニロ博士が登場するバージョンと登場しないバージョンがあります。 一般的に知られているのはブルカニロ博士が登場しない物語です。 一般普及のバージョンを読んで私は衝撃を受けたのですが、そのすぐ後にブルカニロ博士が登場する旧版を読んで、またまた衝撃を受けたのでした。 ...

 

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