2018-07

宮沢賢治

なぜ児童文学なのか? その3

前記事の続きです ミヒャエル・エンデ作『モモ』でマイスター・ホラがモモに出したなぞなぞは、この物語で「時間」がひとつのテーマになっていることに気がつけば、解くのは意外と簡単です。 ですが、このなぞなぞに触れた時、その答えが “この世界の偉大な支配者” “この世界そのもの” という考えに出会った時、なんとも言えない気持ちになりました。 モモ 時間どろぼう...
宮沢賢治

なぜ児童文学なのか? その2

前記事なぜ児童文学なのか? の続きです。 やみにきらめくおまえの光、 どこからくるのか、わたしは知らない。 ちかいとも見え、とおいとも見える、 おまえの名をわたしは知らない。 たとえおまえがなんであれ、 ひかれ、ひかれ、小さな星よ! (アイルランドの子どもの歌より) ↑ミヒャエル・エンデ作『モモ』は、この前書きから始まります。 モモ...
宮沢賢治

なぜ児童文学なのか?

今回の記事は、宮沢賢治の童話や、ミヒャエルエンデの児童文学や、エンリケ・バリオスのアミ三部作などから、私が持った疑問「なぜ児童文学なのか?」ということが主題です。 のっけに1つの大きな理由となるものをあげたいと思います。 「子どもの童話のように、おとぎ話のように書くんだ……そうでないと人はみな君をうそつきか頭がおかしいんだと思うよ。それに子どもに向けて書くべきだ。ー以下略ー」(エン...