なぜ児童文学なのか8(ユートピアの秘密と失われたもの)

芸術

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なぜ児童文学なのか? その7
前記事の続きです  東インド会社は歴史上最初の株式会社だよね。 オランダ東インド会社がそうですね。 安くで仕入れて、他の場所で高く売るって、せどりと一緒ね。 せどりって? ある人たちにとって価値のある本が古...

『アミ 小さな宇宙人』の世界は実現可能か?

 

ねぇ『アミ 小さな宇宙人』で描かれたようなユートピアって、作れないのかなぁ?

夢見る乙女ちゃんには申し訳ないけど、無理無理。

細菌もいない世界なんて、逆に心配やわ。

細菌がいないと有機物の分解ができないから、自然のサイクルが成り立たないしね。でも経済システムを改善するくらいは現実的にできるかもしれない。

あの本、読ませてもらったけどさ、ちゃんと書いてあるじゃねぇか

「じゃ、どうして、不正や戦争が、こんなにたくさんあるの?」
「それは、みんながみんな、そのことを、知っているわけじゃないし、まったく知ろうとしない人も少なくないからね」
(エンリケ・バリオス作 『アミ 小さな宇宙人』より)

そのことって何よ?

こっぱずかしくて口に出来るかよ。

『アミ 小さな宇宙人』は1986年にチリで出版されたようですね。重版になり英語版、ドイツ語版、フランス語版と様々な国の言葉で翻訳され広がっていったそうです。

30年以上も前の本なの?

日本語での初版は1995年のようですね。

チリでの最初の出版から日本上陸まで9年もかかってるんやね。

1995年か。ノストラダムスの大予言の ”恐怖の大王” ってやつが空から降りてくるまであと4年って時代。終末思想全開の頃だぜ。

同じ1995年に日本語訳が出版された児童書で、”社会にうずまく悪や欲望、苦痛や悩みなどがすべてとりはらわれた理想社会” を描いた文学があるのよ。

何ていう本?

ロイス・ローリー作 『ザ・ギバー 記憶を伝える者』という児童文学よ。

もう一つのユートピア『ザ・ギバー 記憶を伝える者』の世界

なんで早く教えてくれなかったの?!

それがね、ユートピアだったはずの社会には隠された裏側があったのよ。

いいね、いいねぇ! ほらな、次々に新しい世代が生まれてくんのに、みんながみんな優等生なわけねぇって。それを無理やりにでも理想社会にしようとすれば、絶対に歪みが出るに決まってんだ。

でもね、あなたがこっぱずかしくて口に出来ないものが、この本でも大切なキーワードだったりするのよ。ただし、物語の世界では “意味がなくなって、ほとんど使われない言葉” だけどね。

いいねぇ!

ロイス・ローリーは、この『ザ・ギバー 記憶を伝える者』で二度目のニューベリー賞を獲得しています。なのに日本では絶版のようですね。アメリカでは500万部のベストセラーだそうですが…

なんで日本では絶版になったんかしら?

出版業界もカネにならなきゃ続けられねぇしな。愛も金の力にはかなわねぇってことかwww

2010年に ”『ギヴァー』を全国の読者に届ける会” という有志の方たちによって、新翻訳で『ギヴァー 記憶を注ぐ者』として再出版されたわ。この本を愛する人たちの力ね。それに何年か前にハリウッドで映画化もされたのよ。

この本が映画化されたのは、ちょっとした驚きでしたね。

なんで驚きなの?

物語の半分まで進まないと読者にハッキリ明かされない秘密が、映像化すると隠せないからです。なので映画化はできないだろうと私は思ってたんですよ。

というわけで、注意
(ネタバレせずにロイス・ローリー作 *『ザ・ギバー 記憶を伝える者』を読みたい方のみに向けた)
読み続けないように! きっとおもしろくないでしょう。ここに書いてあるのは、ネタばらしいことばかりだから。

*新翻訳による『ギヴァー 記憶を注ぐ者』も同じ内容の小説です。

投げたリンゴのなぞ

映像化するとネタバレしちゃうって、どういうこと?

じゃあね、たとえば「彼はリンゴを投げた」って文章を映画のシーンに表現するとしたら、どんな画面にする?


みなさんに描いていただきました。

”彼” だから男だってことは分かるけど、背格好も歳もわからんやないの。仕方なく描いたけど。なんでタダで絵を描かなならんの?

 

タダでて、それでカネ取る気かよww へたくそやな、おばちゃんw

ほんま腹たつわぁ、このアホ男!

どや、俺の絵の才能!

 

絵が上手くても性格悪いやつ、ここにいたわ。それに、なんで野球場よ、救いようのないバカやね。

あの悪名高きヒトラーさんも、もとは画家だぜ。俺なんてまだかわいいもんよw 文章に場所の説明ないんだから、俺が好きな所でいいじゃねぇか。大リーグの始球式で俺が投げてんだ。

自画像のつもり?! だったら、あんたの絵、上手くないから!

君の絵はエゴだね。ぼくは、こうしたよ。

 

あんたも自分を描いたの? しかもリンゴ、念力で飛ばしてるし。

「ヤーッ!」って文字は映画のスクリーンで見えるのか?www

その文字は愛の進歩度が700度以上の人にしか見えないんだよ。

マジか?!

どこにそんな文字が書いてあんのよ?!

マジか?!

ウソに決まってるでしょ。

あたしは、こんな感じにした。

 

後ろからのアングルね。

顔描くの下手だし、どんな顔かわかんないもん。

青リンゴだね。上に投げ上げたんだ。

青リンゴ、だぁい好き!

お尻でつぶさないでよ…

僕はこうしてみた。

 

appleのiPhoneじゃねぇかwww
お前、真面目な顔してけっこうふざけたヤツだなw

このモジャモジャ頭の人、むかしMacのCMしてた人でしょ?

ラーメンズの片桐仁。美大出身のお笑い芸人さん。
好きなんだ、ラーメンズ。また二人で新しいのやってくれないかなぁ…。

お前のリンゴ、虫食ってるぜwww

虫食いじゃなくて、かじったの。くちびる見ればわかるでしょ!

私はこうしました。

 

うまっ!

なるほど。どんな人物か分からなければ、画面に出さなければいいんだ!

そういうつもりじゃなかったんですけどね。リンゴをクローズアップしたかったんです。この出題の意図も、私はわかってるので。

おばさんが最初に言ったように、”彼”という人物の背格好も年齢もわからない文章だと、絵で説明するのが困難よね。どこでリンゴを投げたかもわからない。前後に正確な描写や手がかりがないか、原作やシナリオをしっかりチェックしなきゃならない。だけど、説明されてないことは人は勝手に想像しちゃうでしょ?

勝手に野球場の始球式にしたバカがいたわね。

じゃ、投げずに念力使ったガキはどうなんだよ?!

アミちゃんは、かわいいからいいの。

愛の力だよ。

俺にだって、あ、愛はあるんだぜ!

知ってる知ってる。カネと不道徳を愛してるんでしょ?

当たり! おばちゃん話がわかるね!

で、映画化するとネタバレするっていうのは?

『ザ・ギバー 記憶を伝える者』の映像化で難しいポイントは次の文をどうするかなの。読んでみて。

ところが、宙をとんでくるリンゴの動きを目で追っていたとき、突然気がついたのだが、その果物がーーーそう、ここのところがジョーナスにはよくわからないのだがーーーそのリンゴが、変化したのだ。ほんの一瞬。たしかに空中で変化したのだ。リンゴはすぐにジョーナスの手に飛び込んできたので、よくよく調べてみたが、いままでと同じリンゴだった。
(ロイス・ローリー作 『ザ・ギバー 記憶を伝える者』より)

どんな変化だと思う?

 

 

 

えーっと・・・

 

ほんの一瞬、野球ボールにでもなったか?

 

アホは無視無視。

想像の翼

 

少し透明になったとか?

 

 

『マトリックス』みたいにノイズみたいなのが見えたとか?!

 

 

…なんだろう?

 

 

きっと翼が見えたんだよ。

 

 

 

空中ってのが怪しいな。何にも接触してねぇ時だけ何か起きるんじゃねぇか?

一つの文章でも、人の数だけ違う絵ができたり、違う想像を膨らませたりするんですねぇ。いやぁ、実に面白い!

福山雅治に謝ってくれる?!!

リンゴと聞いたら、たいていの人が赤いリンゴを想像するでしょ?

そうね。青リンゴ描いた人もいたけど、きっと少数派やわ。

いけない?

あかんとか言うてないやないの。少数派も大事。有名人も偉い人も少数派なんやしね。(気疲れするわ)

おばちゃんは色使わなかったじゃねぇか。おばちゃんも少数派狙いで奇をてらったのか?w

違うわよ! それ言うならiPhone投げた絵の人に言いなさいよ!

私も奇をてらったんじゃないし! 好きな青リンゴの色を塗っただけ。

その色がないのが『ザ・ギバー 記憶を伝える者』の人々の暮らす世界なの。
「青がいい」なんて選ぶ自由も楽しみもないのよ。

おばちゃんが正解なのかよ!?

文章でしか仕掛けられないトリックと次のナゾ

あっ、その映画観た! 主人公だけ時々かすかに色が見えるんだ。みんなモノクロの世界で生きてるから、主人公は周囲のみんなと違うことを嫌がって黙ってるんだ。

映画『ギヴァー 記憶を注ぐ者』予告編

なんでみんな色が見えないの?

日常の投薬や科学技術で制御されてるんだ。肌の色も人種の違いもない社会にするためだよ。差異があると怒りや憎悪が生まれて争いになるから。

小説では、人々に色が見えてないことは、物語のなかばまで明かされないんです。映画化ではそれを隠せません。

映画では多くのことを最初に種明かしせざるを得ないの。だからあなたたちが様々に想像したような楽しさがなくなるのよ。小説とは違う設定もあるわ。

映画は最初は白黒映像なんだ。主人公は少しずつガールフレンドの髪の毛やリンゴに赤い色を発見して、映画の映像もそこにだけ色がつくんだ。主人公の能力が覚醒していくごとに画面はカラー映像に変化していくよ。

映画化されるなら、映画だけ見ればいい思ってたけど、文章で表現するのと映像で表現するのとでは、大きな違いがあるんやね。

小説を読む場合、色が存在するのが当たり前だという前提で読んでいるから、その勝手な思い込みが、別の想像をかき立ててくれるでしょ。主人公だけが持っている特別な能力は ”彼方を見る力” というものよ。けれど読者にとって本当に特殊だったのは、色が見えない他のみなさんだったというわけ。

なるほどねぇ。でも、主人公だけが色に気づくようになった原因は何なの?

TO BE CONTINUE

 

次回の「なぜ児童文学なのか」は・・・

とても素敵な世界を描いた児童文学『アミ 小さな宇宙人』。だが、そのユートピアには細菌がいてはならない。その物語が日本上陸した同じ年に、日本にやってきたもう一つのユートピアは、児童文学『ザ・ギバー 記憶を伝える者』に描かれていた。文学ならではのトリックと共に、隠されていたのは色彩がない世界だった。

隠されていたのはそれだけではない。主人公ジョナスにだけ色が見えた理由とは? 次回「なぜ児童文学なのか9」は、その真実に迫りながら、ミヒャエル・エンデの『モモ』、宮沢賢治の童話他、いくつかの文学をからめて、言葉の限界と想像力の限界について考える(言葉と想像の限界 そして口止めされた何か)です。

つづきはコチラ↓

なぜ児童文学なのか9(言葉と想像の限界 そして口止めされた何か)
本記事は小説『ザ・ギバー 記憶を伝える者』及びその別翻訳版『ギヴァー 記憶を注ぐ者』と、その映画化作品『ザ・ギヴァー 記憶を注ぐ者』のネタバレを含みます。 本記事の前回はこちら↓ ああ、言葉ってなんて不正確なんだ!(by ジョナス) 新翻訳の『ギヴァー 記憶を注ぐ者』を手に入れて読んでるけど、面白いね! 色のネタばらしされてても、他のこともたくさん...

 

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