松原遠く…ではじまる文部省唱歌の『海』
1913年(大正2年)の発表で、作詞作曲者は不詳。
海 UMI (♪松原遠く)文部省唱歌 (編曲:輝野和昭)
宮沢賢治についていろいろ研究中なもので、ふと「賢治はいくつだったのだろう?」と考えたのですが…
1913年、宮沢賢治さんは17、8歳。多感なティーン・エイジャーの頃に、賢治が過ごした日本はどんな感じだったのか? 賢治は『海』を歌ったろうか?
そういうのんびり気分で調べようとしたら…
なんと「大正政変」という出来事があった年でした。民衆運動が内閣を倒した最初の運動とか。
そしてその翌1914年には第一次世界大戦が始まるのです。
(前年の1912年は『銀河鉄道の夜』でも触れられるタイタニック号の沈没がありました)
賢治さんはその年に発疹チフスを患います。
第一次世界大戦は、史上最も死亡者数の多い戦争の一つ。
あののどかな文部省唱歌『海』は、こんな動乱期に誕生していたんですね。
ちなみに、それから4年後に賢治さんは5年ほど菜食主義の生活を試みました。
世界大戦の4年間、賢治さんはどんなものを見聞きしてきたのでしょう?
この記事を書き出す前は、「当時の花巻の人々にとって、海は身近だったか?」「賢治にとっての海と言ったらイギリス海岸(川)だろうか?」という視点から切り込んでいくつもりだったのですが、思いもしなかった歴史背景の方に気持ちを取られてしまいました。
予定していた記事はまたいつか書こうと思います。
宮沢賢治 『雨ニモマケズ』 Unbeaten by Rain
アインシュタイン と 海 と、日本に残した警告
アルバート・アインシュタイン 海は、形容しがたい壮大な姿をしています。とりわけ、日が沈む瞬間は。そんなとき、自分が自然に溶け込み、ひとつになるように感じます。そしていつも以上に、個人という存在の無意味さを感じるのです。それは幸せな気分です。 これはアインシュタインの言葉です。 文部省唱歌の『海』が発表されたのが大正2年。 それから9年後の大正...
コメント
昔の唱歌らしい懐かしい感じの日本語ですね。感情抜きの、状況描写。スッキリしたいい歌詞だと思います。輝野さんの歌唱もスッキリして聴きやすいです。波の音と海の映像、ステキですね。次作も期待してます。
のどかな風景描写で心が和みますよね。
ありがとうございます♪