悪人が儲けるための隠された仕組みとは?

宮沢賢治

前記事の続きです

悪魔と道徳教育から見る映画『シックスセンス』(ネタバレ!)
前記事の続きです。 映画『シックス・センス』について述べた先日の記事で「次回書きます」と予告した件について書きます。映画『シックスセンス』のネタバレを含む記事です。 世の中全体を幸福に変えていく上で一番の問題は、相手が霊であれ生きている人間であれ、次の問いにどう回答できるかではないかという話です。 クロウ「霊が君に語りかけてくるのはなぜなのか、よく考えて欲しい」 少年「助け...

映画『シックス・センス』で主人公少年と小児精神科医クロウ博士が初めて顔合わせするのは教会の中でしたね。

クロウ「昔 ヨーロッパでは教会に逃げ込んだ 聖域だったんだ」
少年「何を恐れたの?」
クロウ「悪いやつらだ 牢屋に入れたり 傷めつけたりする連中だ」

教会を「聖域」としていますが、前にも書きました通り、教会もまた魔女狩りや科学の弾圧を犯した悪いやつらの側面を持ちます。

さて今回は芸術作品を挟みながら宗教と歴史が経済とどのようなつながりを持つのか見てみたいと思います。

日本の森には何がいる?

たとえば、あたり一面が整地された田畑や住宅街なのに、ぽつりと小高い山が木々もそのままに残っていたりするのを見たことはありませんか?

そういう場所には、神社仏閣に関わるような何かが残っていたりすることがあるのだそうです。

ジブリのアニメ『となりのトトロ』『もののけ姫』などを観ていても感じると思うのですが、ある専門家の話したことによれば、日本は自然の山や森の中に神様がいると考える傾向だそうです。

昔の日本は、森や山が神様の住処だったので、いたずらにそれを切り崩すことはしませんでした。それは自然に対する敬意でもあったでしょう。自然と共に生活する思想と技術がしっかり根付いていたと感じます。

西洋の森には何がいる?

対して西洋の宗教思想は、森や山には魔物が棲んでいるという考えの傾向なんだそうです。だから教会は山や森の中ではなく開けた場所にあるという話でした。

それで、西洋文明においては、魔物が棲む山や森を切り崩し、開拓し征服するという意識が強いというような話を聞いたことがあります。

そうした西洋の思想では、自然環境を切り崩し、自然物資が足りなければ他の土地へ奪いに行くという傾向なので、コロンブスの時代には、かなりひどい出来事が起こっていたようです。

キリスト教による価値観から、アメリカ大陸の原住民たちは人間ではないとされたそうです。そして奴隷にし、金を探させ、金を持ってこない者や反発する者の両手を切り落としたり命を奪ったりしていたようです。

インディアンを襲ったウィルス毛布のサービス

天然痘のウィルスなどに全く免疫のなかった当時のネイティヴ・アメリカンたちは、ヨーロッパから持ち込まれたそれらの細菌で命を落としました。西洋人たちは、天然痘やチフスなどの細菌を忍ばせた毛布を利用して、ネイティヴ・アメリカンたちを次々に殺していたようです。もう、その時代から既に「細菌兵器」が使用されていたということになります。

しかも寒さを防いでくれる毛布というプレゼントが、実は殺しの道具だという恐怖の福祉。感謝しながら殺されるなんて嫌ですね。

現代社会でも、そういうものがあるんですね。有害物質がワクチンに混入しているそうですよ。

「すべてのワクチンは一切効果が無く有害!」内海聡医師ワールドフォーラム2014年7月

他人の健康や生命など、どうでもいいと思っている人たちがいないと、こんな恐ろしいことにはなりませんよね。大昔、インディアンたちを襲った危機は、現代の日本にも形を変えて存在しているということなのかもしれません。

インディアンと神様に関する歌

私が子供の頃、テレビ画面に流れる洋画から、白人のヒーロー(カウボーイや保安官)たちを襲うインディアンがやっつけられる映像を何度となく見たものです。何も知らない子供の頃はインディアンを野蛮で恐ろしい人種と感じていました。

THE BLUE HEARTS の「青空」を聴くと、幼少の頃のそんな記憶が蘇ります。

THE BLUE HEARTS – 青空 (Aozora)

ブラウン管の向こう側 カッコつけた騎兵隊がインディアンを撃ち倒した
ピカピカに光った銃で できれば僕の憂鬱を撃ち倒してくれればよかったのに

神様に賄賂を贈り 天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか
誠実さのかけらもなく笑っている奴がいるよ 隠しているその手を見せてみろよ

生まれた所や皮膚の目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう

(THE BLUE HEARTS 「青空」より)

 

↓こちらはエニグマの「サイレント・ウォリアー」

Enigma-Silent Warrior

昔むかし 大昔
白人が神の名においてやって来た
大地を奪い 命を奪う
新時代の曙だ

神々を失い 微笑を失い
彼らは最後の救いの叫びをあげた
自由は鎧に変わり
白人は言う
変化の十字架なのだと

神の名において ー 金を奪い合う
起こった変化はそんなもの
神の名において ー 教えてくれ
そんな変化が正しいものなのか

(エニグマ 「サイレント・ウォリアー」より)

こんな礎の上に築いた文化の中で、歪んだ宗教思想で有色人種を迫害してきた十字架の宗教の使い手たち。彼らはもういなくなったのでしょうか?

『銀河鉄道の夜』に登場する二大国家

さて、宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』には、野原一面にとうもろこしが植えられたアメリカ大陸と、そこに住んでいたネイティヴ・アメリカン(インディアン)が描かれます。この情景を織り込んだ宮沢賢治の意図は何だったのでしょう?

 さうさうこゝはコロラドの高原ぢゃなかったらうか、ジョバンニは思わずさう思ひました。カムパネルラはまださびしさうにひとり口笛を吹き、女の子はまるで絹で包んだ苹果のやうな顔いろをしてジョバンニの見る方を見てゐるのでした。突然たうもろこしがなくなって巨きな黒い野原がいっぱいにひらけました。新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてから湧きそのまっ黒な野原のなかを一人のインデアンが白い鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕と胸にかざり小さな弓に矢を番へて一目散に汽車を追って来るのでした。
「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。ごらんなさい。」
黒服の青年も眼をさましました。ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。
「走って来るわ、あら、走って来るわ。追いかけてゐるんでせう。」
「いゝえ、汽車を追ってるんじゃないんですよ。猟をするか踊るかしてるんですよ。」青年はいまどこに居るか忘れたといふ風にポケットに手を入れて立ちながら云ひました。
まったくインデアンは半分は踊っているやうでした。第一かけるにしても足のふみやうがもっと経済もとれ本気にもなれさうでした。
(宮沢賢治作 『銀河鉄道の夜』より)

赤色にした最後の一文は非常に意味深に感じます。「インディアンはその気になれば経済的に豊かになることもできた。けれども、彼らは経済ではなく人生の豊かさ(人生を楽しむこと)を選んだ」私にはそんな風に聞こえます。

ミヒャエル・エンデの『モモ』でも、時間を節約して効率よく成功を目指す人々が幸せになっていない姿が描かれていました。

さて『銀河鉄道の夜』では、アメリカの景色を通り過ぎると星のかたちとつるはしを書いた旗」が現れます。私はこの旗を想像します。

ソビエト社会主義共和国連邦の国旗

アメリカとソ連というのは対立する2大勢力という図式でした。「資本主義 vs 社会主義」みたいな構図で、昭和には「冷戦」という言葉が人々の意識に定着していました。

しかし、もしそれが茶番だったとしたら…

ユダヤがユダヤの砦として造りあげた二つの人造国家、フリーメイソンによるアメリカとマルキシズムによるソヴィエト社会主義共和国連邦とは、表は拮抗対立と見せ、裏は一つに結んでいた。赤と白として見せたほうが、ユダヤが儲かるというだけのことであった。

(渡部悌次著 『ユダヤは日本に何をしたか』より)

マルキシズムとはマルクス主義(科学的社会主義)のことで、『資本論』を書いたマルクスの思想。このマルクスにでっち上げの理論を作らせたんだそうです。

反ユダヤ社会主義運動の機運に危惧を感じたユダヤ人、バリニッシュ・レヴィは、マルクスに金を貢ぎ、嘘の理論を構築するよう要請した。ユダヤがユーロッパ民族から搾取するのではなく、搾取するのは君主であり、貴族であり、地主であり、国家だとし、それらを転覆することによって至福に至りうるとする理論の構成を依頼したのである。マルクスはその意を受けて著述し、演説している。はじめから一切が虚構なのである。

(渡部悌次著 『ユダヤは日本に何をしたか』より)

一部の人が儲けるために、主義主張の違う二つの陣営を作って、それを争わせるわけですね。単なるお遊びのゲームなら問題ないでしょうが、現実に戦争で殺し合ったりしますからねぇ…。

以前ご紹介しました動画「いいやつと悪いやつの操る人形ゲーム」で述べられていることと一致しますね。

1991年にソヴィエト社会主義共和国連邦はなくなりました。ということは「アメリカ vs ソ連」の構図ではない新たな対立構造がどこかで出来上がっているのではないでしょうか?

ちなみに、私が謎の声を聞いたのは、ちょうどベルリンの壁が崩壊したニュースで賑わっている頃でした。

 

コミンテルン 江崎道朗

↑アメリカとソ連が裏で繋がってどんなことになっていたか説明されている動画を見つけました。(2018.12.18追加)

オリンピックに気をつけろ!

前回の記事で、オリンピックで流れ込んでくる外国人にご用心と書きましたが、決して善良な外国人ばかりがやってくるとは限りません。

人がたくさん集まるイベントで茶番劇が行われ、それによって暴力を行使する理由を作り上げられる可能性にも備えておきましょうね。

↓映画芸術の第一人者は、国際的な暴力の茶番にも金を貢がれるのでしょうかね。

Spielberg in Boston? Really? スピルバーグがボストン事件現場にいた?

国際交流は良いことばかりではない

日本では、昔から日本人のふりしてスパイ活動をする かの国の人や、英語教室(昔は宗教の宣教師が隠れみのの侵略でしたが、今は語学教室など)に身を包んで日本国籍を手にしている一部のハザードマフィアや、心理学を悪用して人を自死に追い込むカウンセラーなどが、もうずいぶん前から日本に入り込んでいて日本を蝕み始めています。

日本人であろうと外国人であろうと、良い人も悪い人もいます。だから人種差別や「日本一番」みたいなナショナリズムの話でもありません。もともと日本人でありながら売国奴の日本人もいます。

上のボストンマラソンの裏を示す動画もですが、芸術の世界も結局いろいろ金で囲われて巻き込まれちゃうんでしょうね。

当時ゾルゲのほかに多数の外人音楽家のスパイどもが暗躍していたが、いずれも専属の日本女性を情婦にしていた。

(渡部悌次著 『ユダヤは日本に何をしたか』より)

「人類みな兄弟、仲良く」というグローバリズムならいいですが、植民地化、奴隷化の隠れみのとしてのグローバリズムにご用心。

神に仕える ”人間” を信用して大丈夫?

そして人は自分の力では如何ともしがたい状況に追い込まれると神に祈ろうとします。

神様に賄賂を贈り 天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?

(THE BLUE HEARTS 「青空」より)

もしあなたが、神に仕える何者かに相談事をしたとしましょう。

あなたが明かした悩みや問題の種は、あなたを助けるためではなく潰すことに使われるかもしれません。とくに「道徳」よりも「金」が第一義にある人々によって。

宮沢賢治の童話『蜘蛛となめくじと狸』には、次のようなシーンがあります。

「そうじゃ。みんな往生じゃ。山猫大明神やまねこだいみょうじんさまのおぼしめしどおりじゃ。な。なまねこ。なまねこ。」
兎も一緒いっしょ念猫ねんねこをとなえはじめました。
「なまねこ、なまねこ、なまねこ、なまねこ。」
狸は兎の手をとってもっと自分の方へ引きよせました。
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどおり、なまねこ。なまねこ。」と云いながら兎の耳をかじりました。兎はびっくりしてさけびました。
「あ痛っ。狸さん。ひどいじゃありませんか。」
狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどおり。なまねこ。」と云いながら、とうとう兎の両方の耳をたべてしまいました。

(宮沢賢治作 『蜘蛛となめくじと狸』より)

宮沢賢治の童話には山猫が度々出てきます。『どんぐりと山猫』での山猫は全体を統括する一番上の存在のようでした。『蜘蛛となめくじと狸』では山猫は直接登場しませんが、神のような高次の存在として描かれていますね。

かの陰謀論に出てくる組織は、なぜ人間の上にある高次の神的存在を信じる者のみを入会の条件とするのでしょうか?

ずっと引っかかっている私の疑問です。

線路はつづくよ

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